ジャニーズ

父は僧侶で兄は科学者?ジャニー&メリー喜多川の家系がエグかった!

父は僧侶で兄は科学者?ジャニー&メリー喜多川の家系がエグかった!

いま世間で取り沙汰されているジャニー&メリー喜多川氏を知らない人はそうそう居ないと思います。しかしジャニー喜多川、メリー喜多川という名前のため、お2人はハーフなのかなと感じていた方も多いはず。実はお2人とも日本人である両親のもとに産まれた生粋の日本人なのです。今回はジャニー&メリー喜多川氏の家族について調べてみたいと思います。

ジャニー&メリー喜多川の両親は?

ジャニー&メリー喜多川氏の両親は日本人です。父親の名前は喜多川諦道(きたがわたいどう)、母親の名前は喜多川栄子です。1924年2月に父親である喜多川諦道氏が先にアメリカに渡り、すぐに日本に住む妻・栄子を呼び寄せ1933年8月までアメリカで過ごしました。その間にアメリカで産まれたメリー喜多川氏、ジャニー喜多川氏はアメリカと日本の二重国籍を持っており、ミドルネームがあるそうです。ちなみにメリー氏の本名は藤島メリー泰子、ジャニー氏の日本名は喜多川擴(ひろむ)・英語名はジョン・ヒロム・キタガワだそうです。

ジャニー&メリー喜多川の父親は僧侶?

ジャニー&メリー喜多川氏の父親は僧侶だと言われています。大分県出身の日本の高野山真言宗の僧で高野山米国別院第3代主監・布教師として活躍されたそうです。アメリカで1924年から1934年までの10年間主監を務め、1933年に帰国する際にはアメリカの日系人の新聞にて帰国を惜しむ声や開教生活を讃える記事が掲載されたとのこと。在米中はボーイスカウトを結成し、米国で最も優秀な隊として選ばれ、なんと大統領に謁見したこともあるそうですよ!

ジャニー&メリー喜多川の母親はどんな人?

ジャニー&メリー喜多川氏の母親は、夫である喜多川諦道に呼ばれ、1924年アメリカに渡ります。その後、メリー喜多川氏、喜多川真一氏、ジャニー喜多川氏を出産します。献身的に夫を支え、1933年には一家で日本に帰国しますが、間もなくして母親は他界。まだ幼かったジャニー&メリー喜多川氏は淋しい思いをしたようです。

ジャニー&メリー喜多川の兄は科学者?

ジャニー&メリー喜多川氏の兄弟に、喜多川真一氏がいます。1947年、3人はアメリカへ移住し、ロサンゼルスの高校や大学に進学します。兄の喜多川真一さんは頭が良く、NASAでアポロ計画の設計もした科学者だったそうです。ですが1985年に病気のため、50代半ばで亡くなっているようです。

メリー喜多川の結婚相手はどんな人?

メリー喜多川さんは結婚されていて、一人娘がいます。ご主人は藤島泰輔(ふじしまたいすけ)という名前です。藤島泰輔氏は小説家・評論家であり、新聞記者でもありました。日本の第125代天皇、現在上皇である明仁親王の学友の一人で、共にエリザベス・ヴァイニング夫人の教育を受けているそうです。ただ、大学卒業後は疎遠であったそう。1963年には高浜虚子の孫娘・朋子さんと結婚しますが、その後メリー喜多川氏と内縁関係となり、1972年に離婚。その後メリー氏と再婚したそうです。1996年食道がんの告知を受け、翌1997年6月に都内の病院で死去しました。64歳だったそうです。

メリー喜多川の一人娘は、藤島ジュリー景子?

藤島泰輔氏と内縁関係にあったメリー喜多川氏は、1966年に一人娘を出産します。現在ジャニーズ事務所の代表取締役をしている藤島ジュリー景子氏です。メリー喜多川氏は一人娘である藤島ジュリー景子を溺愛したそうですが、かかる期待が大きい分、藤島ジュリー景子氏にとっては支配的に感じる部分も多かったのではないかと感じます。2023年現在、藤島ジュリー景子氏は、ジャニー喜多川氏の性加害問題で大変な思いをされていると思います。しかしどんな状況にせよ、ジャニーズ事務所の第二代代表取締役社長を引き継いだのは藤島ジュリー景子氏自身です。厳しいようですが、第二代代表取締役社長として誠実に最後まで、対応する責任があると思います。

まとめ

今回はジャニーズ事務所の創始者として有名なジャニー&メリー喜多川氏の家族について調査しました。ジャニー&メリー喜多川氏の父親は人望の厚い僧侶であったり、兄弟の喜多川真一氏は、アメリカのエンジニアで、あのアポロ計画の設計にも携わった科学者だったとのこと。ご家族はとても優秀な方がたであったのにジャニー喜多川氏の問題で、砂上の城のようにもろく崩れてしまったと感じます。人間は確かに短所も持ち合わせていますが、絶対におかしてはならない領域があります。私達はしっかりと自問自答し、人間としての尊厳と誇りを持って生きていきたいですね。